エッセイ

常識の上手な使い方とダメな使い方

2022年4月13日

常識って何だ?客観的なものっぽいけど?

常識ってなんでしょう。常識というのは、客観的なもののようでいて、実は物凄く主観的なものです。

ある個人の考える常識は、その人の人生経験から「だいたいこの範囲はみんな共通だろう」というのがその人の考える常識です。

そして、人1人が経験出来ている事などたかが知れています。経験出来ていない事は想像で補うしかありません。常識は主観的であるだけでなく、その多くが想像なのです。

日本人に生まれたら、ほんの少しの知識を元に、アメリカ人の常識を想像するしかありません。お金持ちに生まれたら、ほんの少しの知識を元に、庶民の常識を想像します。ずっと都会に住んでいたら、田舎の常識は想像です。営業一筋ならば総務の常識は想像です。業界が違っても常識はまったく違ったものになります。

「常識は人の数だけある」と言っても過言ではありません。

現代の先進国でこそ、殺人や拷問は犯罪というのが揺るぎない常識ですが、世界の歴史を見れば、身分差があれば殺人や拷問が犯罪ではないという常識がずっとまかり通っていました。

そんな危ういものなのに、常識はみんなの共通認識として扱われます。ある意味正しいのですが、ある意味間違っています。

例えば、ある職場の常識

例えば、ある職場の常識は、その職場で数ヶ月以上を一緒に過ごしてきた人達にとっては、共通認識として浸透しているでしょう。しかし、その職場に転職して来た人にとっては、共通認識ではありません。常識には擦り合わせる時間と作業が必要です。

仕事を教える時に、よく「常識で考えろ」とか「理屈で考えたらわかるでしょ」などと言う上司や先輩がいます。

しかし、職種や職場によって常識はまったく違います。理屈も、「理屈で考えろ」などと言えるほど、すべてが理屈通りに動いている職場は少ないように思います。

教える人にしたらいくつか例外があるだけでも、新入社員や転職者にしたらどれが例外かわからないので、すべてを常識や理屈で考える訳にいかなくなります。

省略せずに、職場のルールをしっかりと教えていくべきで、安易に常識で考えろなどと言うべきではありません。

時々、相手の事情を考慮して、黙って見守る人もいますがそれもいけません。黙っていたらずっとやりますよ。「自分で気付いて直せ」というのは酷な話です。

ある程度ルールを教えたら、相手のこれまでの常識を聴くことも大切です。自分の常識を押し付けるだけでは、自分も職場も成長はありません。相手はより良い常識を知っているかも知れないのです。いえ、高い確率でより良い常識を知っているはずです。取り入れましょう。

能動的に常識を使いこなす人達がいる

ここからは、自分で常識を作り能動的に使う人達がいるというお話です。

常識とは主観的なものなのに、客観的な共通認識として扱われます。恐ろしい事に、世の中にはこれを利用しようとする人達が大勢います。

「これは常識だ」と周りに認識させてしまえば、おかしな話でも説明なしに押し通せてしまうのです。

比較対象のない商品ならば、原価1,000円の商品を、「1,200円だ」と言えば1,200円になりますが、「5,000だ」と言ってしまえば5,000円になるのです。これは詐欺ではなくて真っ当な商売の話です。付加価値が高いなどという言い方をします。ブランド戦略などと云うものもこれにあたります。

自分の営業にも、この原理を少し取り入れると色々と楽になります。自分とお客様、1対1の決まり事のようなもの作るという事です。「返信用の封筒の付いた書類は翌日返信するのが当たり前」「説明を聞いたら何となく買う流れになっている」など、色々やりやすい自分とお客様の共通認識を作ります。

絶対にやってはいけない常識の使い方

共通認識のすごく悪い使い方として、パワハラなどがあります。

職場に「あいつは仕事が出来ないから叱られて当たり前」「差別されて当たり前」という共通認識を作り上げてパワハラをする輩がいます。

調査が入っても、周りの社員から「あいつが叱られるのは、あいつが悪いから」という証言が集まります。

テレビドラマだけの話ではありません。呉々も騙されて加担しないように気を付けましょう。加害者に加担して「騙されていた」などという言い訳は被害者には通用しません。

目に見えて「サボっている」とか「やる気のない」営業マンならば本人が悪いのでしょう。(優秀な管理職ならばそれさえ改善してしまうと思われますが。)

しかし、やる気さえあれば、並程度の成果を出させられないのは、多分に管理職の能力不足と言えます。人を見るプロ、人事部が採用した社員なのです。使えない人材というのならば、責任の所在は、雇った人事部か管理する管理職にあります。

 

 

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